「大才」には、もう一つの呼び方があり、それが「王佐之才」です。
三国時代に「王佐之才」と称された人物は三人おり、第一が王允、第二が荀彧、第三が諸葛亮です。
王允は、字を子師とし、太原祁の出身です。張璠の『漢紀』によると、「王允は若い頃から大いなる節操を持ち、郭泰は彼を見て才能の高さに驚き、『王生は一日に千里を駆ける才覚を持つ。まさに王佐の才である』と言いました。郭泰はすでに名声のある人物でしたが、それでも王允と親しく交わることにしました」と記されています。
荀彧については、『三国志·荀彧伝』に「荀彧が幼少の頃、南陽の何頙がその才能を見抜き、『王佐の才である』と評した」とあります。
一方、諸葛亮が「王佐之才」と称されるようになったのは、千年後の宋代になってからです。
宋代の大儒である程頤と朱熹は、諸葛亮を非常に高く評価し、何度も「儒者の風格を備え、王佐の才に近い」と称賛しました。
さて、「王佐之才」とは何でしょうか。「王佐之才」とは即ち、君主を補佐して「称王」させる才能のことです。「称王」には二つの意味があり、一つは天下を統一すること、もう一つは王道を実践することです。
歴史上、この二つを成し遂げた人物は二人います。一人は商代の伊尹で、商湯を補佐して夏桀を滅ぼしました。もう一人は周代の呂望(姜尚)で、周武王を補佐して商紂を滅ぼしました。
この二人は、仁を興し、暴を除き、民衆を苦しみから救い、歴史に残る偉業を成し遂げたのです。
このことから、「王佐之才」の本質には、才能と徳という二つの頂点が含まれていることがわかります。
一つは、才能が極めて高いこと、もう一つは、品性が極めて高潔であることです。
「腹に国を安定させる策を持ち、胸に仁義の心を抱く」という言葉の通り、どちらも欠かせません。つまり、「腹に国を安定させる策」がなければ国を治めることはできず、「胸に仁義の心」がなければ仁政を施し、王道を推進することはできません。
三国時代においては、荀彧と諸葛亮だけが「王佐之才」にふさわしいと言えます。その他の人物は、品性は高いものの才能が際立たなかったか、あるいは才能は優れていても品性が十分ではありませんでした。
たとえば、王允は董卓を討つ計略を立て、歴史に残る偉業を成し遂げましたが、最終的には智略が足りず、李傕と郭汜が再び混乱を引き起こすことになり、非常に残念な結果となりました。
後世においては、諸葛亮の政治的才能は高く評価される一方で、その軍事的才能が否定されることが多いです。これはおそらく、陳寿の影響によるものです。陳寿の評価は客観的な視点に基づいていましたが、やや偏った部分もありました。
実際のところ、諸葛亮は単なる政治の天才ではなく、軍事の天才でもあったのです。