諸葛亮(しょかつりょう)の『将器』篇に見る将軍の器量
まず、諸葛亮の『将器』篇には、将軍の器量が大小さまざまであることが説かれ、能力に応じて以下のように分類されています:
十人を率いる将軍:奸佞(かんねい)を見抜き、禍(わざわい)を察知し、人々を従わせることができる者です。
百人を率いる将軍:朝早くから夜遅くまで働き、言葉遣いも細心に考慮する者です。
千人を率いる将軍:正直で思慮深く、勇敢で戦いに長けている者です。
万人を率いる将軍:容貌は凛々しく内心は激烈で、人材を適切に見抜いて勤勉に働き、部下の飢えや寒さにまで目を配る者です。
十万人を率いる将軍:賢者を登用して能力を伸ばし、一日一日慎重に行動し、誠実で寛大、動乱の中でも怠らない者です。
天下を率いる将軍:下に対する仁愛が行き渡り、信義によって隣国を服させ、天文にも明るく人事を洞察し、地理に通じて、四海の人々を自宅のように見渡せる者です。
このように見ると、諸葛亮はまさしく「天下を率いる将軍」に当てはまる人物です。下に対する仁愛が行き渡り、信義によって隣国を服従させるという条件からすれば、三国時代の諸将たちを見渡しても、天下の将軍にふさわしいのは諸葛亮ただ一人しかいません。
『八陣図』の奥義と李靖(りせい)将軍
また、諸葛亮には他に比肩する者がいないもう一つの点があります。それは、兵法を推演して『八陣図』(はちじんず)を作成し、その要諦をすべて得ていたことです。諸葛亮自身も「八陣図が完成すれば、今後どの軍を行動させても覆滅することはないだろう」と言っています。三国時代だけでなく、古来から現代に至るまで、この八陣図を理解できる将軍は数えるほどしかいません。
諸葛亮の死後、唐代に至るまで、諸葛亮の八陣図を基に『六花陣』(ろっかじん)を考案した名将は李靖(りせい)ただ一人であり、これによって戦場で無双の強さを誇りました。諸葛亮の八陣図の奥義は非常に奥深いのですが、残念ながら臆病な司馬懿(しばい)と対峙することになり、その効果を十分に発揮できませんでした。これは諸葛亮にとって大きな遺憾であったと言えるでしょう。
諸葛亮(しょかつりょう)の巧妙な発明
これらに加えて、諸葛亮は巧妙な発想にも長けていました。史料には「損益連弩(そんえきれんど)、木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)はいずれも彼の考案による」と記録されています。これらの発明はいずれも奇抜な構想で、人々を驚嘆させるものです。
諸葛連弩(しょかつれんど)は、伝えられるところでは半自動ライフルのように自動装填が可能で、一挺で十発もの矢を連射できるため、殺傷力は極めて高かったとされています。実際、この種の連弩が復元されたのは2007年のことでした。また、木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)も近年になって職人の手によって再現されています。